井上康生監督の妻、タレントの東原亜希さんが、デスノートを持っているってご存知でした?デスノートといえば、名前を書かれた人は心臓発作やその他あらゆる原因で必ず死んでしまうという、死神がもたらした恐怖のノートですね。またまたあ、漫画の話でしょ?と思うでしょう。これが、漫画よりも漫画っぽい、にわかに信じがたいような話が満載なんです。
一方、井上康生監督の母、かず子さん。息子のオリンピック優勝を誰よりも願い、応援していましたが、初出場の2000年シドニーオリンピック目前で急逝してしまいます。母との約束の金メダルを勝ち取った井上康生選手は、念願の表彰式に母の遺影を持ち込もうとしましたが・・・!?
ということでどっちのお話も気になりますよね、さあ先へ進んでください!
Contents
井上康生の妻、東原亜希はデスノート所有者!?
東原亜紀さんがブログで言及した対象に、不幸が訪れると大変話題になっています。あまりの不幸っぷりに、東原亜希さんのブログは「デスノート」とか「デスブログ」などと呼ばれるようになりました。しかもすごいことに、本家デスノートでは人の名前しか有効でなかったのが、東原亜紀さんのデスブログに書かれると、馬だろうとサッカーチームだろうと餌食になってしまうというのです。そのパワーからは、井上康生監督ですら逃れられないとか。
いくつかピックアップしてみましょう。
競馬
東原亜紀さんがブログで1着になると予想した馬は、どんなに強い馬であっても骨折したり落馬したりを免れないそう。またある時、自分のブログのパワーを知った東原亜紀さんが本命以外の馬の名前を全部ブログに書き込んでみたところ、まさかの馬インフルエンザ発生により、レースが中止に。おまけに本命の馬も故障してしまったとのこと。
スポーツ
K-1グランプリでは、東原亜希さんがブログで応援した選手が全員敗退。マンチェスターユナイテッド観戦の報告を東原亜紀さんがブログでしたところ、同チームは後日ホームにて格下チームにまさかの敗戦。
観光名所
東原亜紀さんのブログに東京スカイツリーの写真が掲載されたところ、開業日は終日雨。しかも、強風でエレベーターが停止するおまけつき。
ブログ以外でも
東原亜紀さんのデビューはドリームキャスト(家庭用ゲーム機)のキャンペーンガール。ところが売上が伸びず他機種に惨敗。某消費者金融のCMに東原亜紀さんが出演したところ、全店舗閉鎖に。
被害は夫・井上康生にまで
井上康生選手(当時)は東原亜紀さんとの結婚直後、2008年北京オリンピックの予選でまさかの敗退を喫し、出場を逃してしまう。しかし、井上康生氏が監督として臨んだ2016年リオオリンピックでは、全階級でメダルを獲得。このとき、東原亜紀さんはブログにオリンピックのことを一切書かなかったとか。デスブログのパワーを逆手に取ったと話題に。
海外でも話題に
なんと米ニュースサイトに「ボーイング機のバッテリー問題の責任は日本人モデルにあるのか?」という記事が登場し、『「デスブログ・レディー」こと東原亜紀が元凶だ』と紹介。ボーイング787の機体トラブルによる緊急着陸にさきがけて、東原亜紀さんのブログにボーイング787のプラモデルが取り上げられたことを挙げ、日本で話題の「デスブログ」について説明。記事にはFacebookで1000件を超える「いいね」が付いたとか。
こじつけでは?
以上、呆れるぐらい色々なエピソードがありましたね。他にも色々と報告されていますが、いずれにせよ噂でしかありませんし、こじつけにも程があるだろうと言いたくなるものも少なくありません。また、災害に絡むものなど、面白がるのが憚られる話題も散見されますので、注意が必要ですね。
それでもまだまだデスブログの活躍(?)に興味があるよ、というあなた、百聞は一見に如かずということで、まずは本家・デスブログをこっそり覗いてみましょうか。
東原亜紀オフィシャルブログ『ひがしはらですが?』
井上康生、母の遺影を掲げた五輪表彰式
井上康生監督は、2000年のシドニーオリンピックで金メダルを獲得しています。その時のエピソードです。
井上康生監督は、母・かず子さんについて「オリンピックチャンピオンになれると信じてくれた人。優しく包んで育ててくれた」と語りました。かず子さんは、12歳にして既にオリンピックで金メダル獲得を宣言した井上康生監督を誰よりも応援し、時には厳しく諭し、常に井上康生監督の支えとなっていたそうです。
シドニーオリンピックの前年、1999年に井上康生選手(当時)は念願のオリンピック代表候補に選出されます。母と共に追った夢、母に恩返しをする最高の舞台、オリンピック。しかしその直後、かず子さんはくも膜下出血で急逝されます。
その時井上康生選手が父・明さんから渡されたのは、母からの手紙でした。そこには、五輪を控える井上康生選手への応援メッセージと、体を壊さないようにと気遣う優しい母の言葉がありました。
最愛の母を亡くして迎えたシドニーオリンピックでしたが、井上康生選手は全て一本勝ちで勝ち進み、とうとう決勝戦へ。そこでも井上康生選手は得意技の内股で一本勝ちを決め、見事優勝を果たします。かず子さんへ金メダルを捧げることができました。
そして迎えた、オリンピックでの表彰式。井上康生選手は、「世界一の母を世界の人に見せたい」という思いから、かず子さんの遺影を手に、表彰台へと向かいます。
ところが、表彰式会場内に私物を持ち込むのは禁止というルールがあったため、井上康生監督は選手スタッフに止められたうえ、会場責任者まで駆け付ける騒ぎに。そこで、表彰台に母と一緒に登りたいと話したところ、井上康生選手の熱い思いが伝わったのか、なんと会場責任者が服の下に遺影を隠し持って行くのをこっそり認めてくれたのです。
かつてオリンピックの表彰台で、遺影を掲げながら金メダルを授与された選手はいませんでした。よって当時は、大変な話題になりました。
その、当時の会場責任者ルイス・バルさんをTV番組のスタッフが訪ねたのは、実にシドニーオリンピックの18年後。ルイスさんは、「オリンピック規約には違反していたが、彼の真っ直ぐな気持ちが伝わったのでOKした」「18年経った今でも多くの人の中で良い記憶として残っていることで、あの判断は間違っていなかったのだと思える」と語りました。
また、ルイスさんからは、遺影の額縁に本来入っているはずのガラスが無かったため、危険性はないと判断し、OKできたのだというコメントもありました。でも、ガラスはどこへ行ったのか?実は、遺影は父・明さんが抱いていたのですが、井上康生選手が優勝した瞬間に取り落とし、割れてしまったというのです。このことについて井上康生選手は、「母が私を連れて行けという思いでそうしたのかも」と語ったということです。
どうでしょう、母子の絆を感じさせる、とても素敵なエピソードですね。
まとめ:井上康生を取り巻く女性たち
井上康生監督の妻は、デスノート所有者の東原亜紀さん。このデスノートとはデスブログとも呼ばれ、東原亜紀さんの公式ブログを指していました。ブログに取り上げられた人や物事が、その後色々と不幸な目に合うとの噂ですが、真偽の程は是非あなた自身で確かめてみてください。
また、井上康生監督の母・かず子さんは、シドニーオリンピックを目前に亡くなりましたが、遺影の姿で愛息子と一緒に念願のオリンピックの表彰台に上がることができました。このことは世界の人々に感動を与えました。
ということで今回は、井上康生監督の妻、そして母のエピソードに焦点を当ててみました。また興味深い話題があれば是非お届けしたいと思います!
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