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柔道日本代表の歴代監督を振り返る!名将井上康生、その有能さとは!?

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柔道日本代表の井上康生監督。オリンピック金メダリストという素晴らしい選手であるうえ、監督としても有能と専らの評判ですね。その仕事ぶりが認められ、前回オリンピックに引き続き、次の2020年東京オリンピックでも監督を務められます。

井上康生監督の功績としてリオデジャネイロオリンピックでの男子柔道全階級メダル獲得という輝かしい成績は記憶に新しいですが、そのすごさについてもう少し踏み込んでみませんか。

また、ここで、柔道日本代表の歴代監督と、オリンピックでの戦果についても振り返りたいと思います。これまでの日本代表の活躍を見てきたあなたも、北京オリンピックの頃なんてまだ生まれてないよというようなあなたも、ぜひ一緒に見ていきましょう。

柔道日本代表の歴代監督を振り返る!

それではまず、柔道日本代表の歴代監督およびオリンピックでの獲得メダルについて振り返ってみましょう。
直近のリオデジャネイロから、1964年の東京オリンピックまで遡ります。懐かしいお名前が沢山出てきますよ。

引用元:https://ameblo.jp/kosei-inoue/

2016 リオデジャネイロオリンピック 金2銀1銅4

  • 監督:井上康生
    • シドニーオリンピック100kg級金メダル
    • 2012年ロンドンオリンピック後に監督就任。それまでの指導方法を見直し、科学的なトレーニングや他国選手の映像分析、他国の格闘技を学ばせるなど様々な改革に着手し、低迷が続いていた男子柔道を復活に導きました。

【60kg級】高藤直寿(23) / 銅メダル
【66kg級】海老沼匡(26) / 銅メダル
【73kg級】大野将平(24) / 金メダル
【81kg級】永瀬貴規(22) / 銅メダル
【90kg級】ベイカー茉秋(21) / 金メダル
【100kg級】羽賀龍之介(25) / 銅メダル
【100kg超級】原沢久喜(24) / 銀メダル

  • 日本代表男子が全階級でメダルを獲得したのは、1964年東京オリンピック以来52年ぶりのことでした。

2012 ロンドンオリンピック 金0銀2銅2

  • 監督:篠原 信一
    • シドニーオリンピック100kg超級銀メダル
    • 2000年シドニーオリンピックの決勝戦、内股すかしで相手を背中から畳に叩きつけ、誰もが一本勝ちを確信したその瞬間、「世紀の大誤審」で銀メダルに終わりました。山下監督率いる日本選手一同も猛抗議をしましたが、篠原選手本人は「弱かったから負けた」と潔く引き下がったのが印象的でした。

【60kg級】平岡拓晃(27) / 銀メダル
【66kg級】海老沼匡(22) / 銅メダル
【73kg級】中矢力(23) / 銀メダル
【81kg級】中井貴裕(21) / 5位
【90kg級】西山将士(27) / 銅メダル
【100kg級】穴井隆将(27) / 2回戦敗退
【100kg超級】上川大樹(22) / 2回戦敗退

  • 男子柔道は五輪で初めて金メダルなし。『「柔道」が「JUDO」に飲みこまれた』『惨敗』『柔道はもはや日本のお家芸ではなくなった』等々、世間の評判は散々でした。

2008 北京オリンピック 金2銀0銅0

  • 監督:斉藤仁
    • ロサンゼルスオリンピック95kg超級金メダル
    • ソウルオリンピック95kg超級金メダル
    • 選手としてだけでなく、指導者としても並々ならぬ熱意を柔道にぶつけました。最愛の2人の息子に死の直前に残した、「稽古に行け」の言葉がその熱意を物語ります。
    • 史上最強の柔道家とも言われる3歳年長の山下泰裕は斎藤仁にとって良きライバルであり、また深い信頼を寄せる先輩でした。

【60kg級】平岡拓晃(23) / 2回戦敗退
【66kg級】内柴正人(30) / 金メダル
【73kg級】金丸雄介(28) / 7位
【81kg級】小野卓志(28) / 1回戦敗退
【90kg級】泉浩(26) / 2回戦敗退
【100kg級】鈴木桂治(28) / 1回戦敗退
【100kg超級】石井慧(21) / 金メダル

  • 各国の民族格闘技の技法を応用した豪快な投げ技も数多く見られ、柔道の新たな発展と進化をうかがわせる大会でした。

2004 アテネオリンピック 金3銀1銅0

  • 監督:斉藤仁(北京と同じ)
    • アテネ五輪と2008年の北京五輪では男子日本代表は全体的に決して芳しいとは言えない結果でしたが、それでも斉藤監督は教え子の鈴木と石井慧を金メダルに導き、かつて自らが築いた重量級世界一の系譜を死守した。

【60kg級】野村忠宏(29) / 金メダル
【66kg級】内柴正人(26) / 金メダル
【73kg級】高松正裕(22) / 1回戦敗退
【81kg級】塘内将彦(27) / 11位
【90kg級】泉浩(22) / 銀メダル
【100kg級】井上康生(26) / 9位
【100kg超級】鈴木桂治(24) / 金メダル

  • 日本選手団の主将を井上康生選手が務めました。

2000 シドニーオリンピック 金3銀1銅0

  • 監督:山下泰裕
    • ロサンゼルスオリンピック無差別級金メダル
    • 引退から逆算して203連勝(引き分け含む)、また対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録の持ち主で、最強の柔道家として知られています。

【60kg級】野村忠宏(25) / 金メダル
【66kg級】中村行成(27) / 7位
【73kg級】中村兼三(26) / 9位
【81kg級】瀧本誠(25) / 金メダル
【90kg級】吉田秀彦(30) / 9位
【100kg級】井上康生(22) / 金メダル
【100kg超級】篠原信一(27) / 銀メダル

  • 篠原信一選手がまさかの銀メダルとなった「世紀の大誤審」が起こった大会でした。この事件以後、国際柔道連盟では誤審防止や判定の難しいケースに備えてビデオ判定を導入し、ルールの徹底と試合判定の明確化に力を入れるようになりました。

1996 アトランタオリンピック 金2銀2銅0

  • 監督:山下泰裕(シドニーと同じ)

【60kg級】野村忠宏(21) / 金メダル
【65kg級】中村行成(23) / 銀メダル
【71kg級】中村兼三(22) / 金メダル
【78kg級】古賀稔彦(28) / 銀メダル
【86kg級】吉田秀彦(26) / 5位
【95kg級】中村佳央(25) / 7位
【95kg超級】小川直也(28) / 5位
【無差別級】-

  • 代表選手7名の中に「中村」が3名いますが、皆兄弟です。しかもうち2名が金銀のメダルを獲得したこともあり、当時話題となりました。

1992 バルセロナオリンピック 金2銀1銅2

  • 監督:上村春樹
    • モントリオールオリンピック無差別級金メダル
    • 無差別級選手としてはかなり小柄で不利だった分、技の研究や地道な練習を積み重ね、とうとう日本柔道の悲願であったオリンピック無差別級金メダルを勝ち取りました。

【60kg級】越野忠則(26) / 銅メダル
【65kg級】丸山顕志(26) / 7位
【71kg級】古賀稔彦(24) / 金メダル
【78kg級】吉田秀彦(22) / 金メダル
【86kg級】岡田弘隆(25) / 銅メダル
【95kg級】甲斐康浩(24) / 7位
【95kg超級】小川直也(24) / 銀メダル
【無差別級】-

  • 古賀選手はバルセロナ入り後に負傷。全治3週間の怪我をテーピングと痛み止めで抑え、執念で金メダルを勝ち取りました。もう一人の金メダリスト、吉田選手も、怪我から復帰したのが大会直前、しかも古賀選手は先輩ということで、何か因縁のようなものが感じられる大会でした。

1988 ソウルオリンピック 金1銀0銅3

  • 監督:上村春樹(バルセロナと同じ)

【60kg級】細川伸二(28) / 銅メダル
【65kg級】山本洋祐(28) / 銅メダル
【71kg級】古賀稔彦(20) / 3回戦敗退
【78kg級】岡田弘隆(21) / 3回戦敗退
【86kg級】大迫明伸(27) / 銅メダル
【95kg級】須貝等(25) / 2回戦敗退
【95kg超級】斉藤仁(27) / 金メダル
【無差別級】-

1984 ロサンゼルスオリンピック 金4銀0銅1

  • 監督:醍醐敏郎
    • 講道館最高段位(10段)

      ※講道館
      正式名称を公益財団法人講道館といい、柔道家であり、教育家でもある嘉納治五郎が興した柔道の総本山です。段位の発行、大会開催、講習会、機関誌の発行、書籍の刊行など柔道普及のための諸活動を行っています。

    • 柔道振興のため多くの著書があり、人気の本は英語・ドイツ語・フランス語にも翻訳され、世界中の柔道愛好家達から支持を受けています。

【60kg級】細川伸二(24) / 金メダル
【65kg級】松岡義之(27) / 金メダル
【71kg級】中西英敏(26) / 5位
【78kg級】高野裕光(24) / 5位
【86kg級】野瀬清喜(31) / 銅メダル
【95kg級】三原正人(25) / 9位
【95kg超級】斉藤仁(23) / 金メダル
【無差別級】山下泰裕(27) / 金メダル

  • 日本勢が4階級もの金メダルを独占した、日本柔道の全盛期と言うべき大会でした。特に最重量級である2階級の制覇は、まさに最強日本の象徴でした。

1980 モスクワオリンピック 不参加

  • 監督:醍醐敏郎(1984年ロサンゼルスオリンピックと同じ)

【60kg級】森脇保彦 / 不参加
【65kg級】柏崎克彦 / 不参加
【71kg級】香月清人 / 不参加
【78kg級】藤猪省三 / 不参加
【86kg級】恵谷正雄 / 不参加
【95kg級】河原月夫 / 不参加
【95kg超級】山下泰裕 / 不参加
【無差別級】-

  • 米ソ冷戦の真っただ中だった頃のため、日本も欧米諸国と並んで1980モスクワオリンピックをボイコットしました。

1976 モントリオールオリンピック 金3銀1銅1

  • 監督:醍醐敏郎(ロサンゼルスと同じ)

【軽量級】南喜陽(24) / 2回戦敗退
【軽中量級】蔵本孝二(24) / 銀メダル
【中量級】園田勇(29) / 金メダル
【軽重量級】二宮和弘(29) / 金メダル
【重量級】遠藤純男(25) / 銅メダル
【無差別級】上村春樹(25) / 金メダル

  • 当時の新聞の見出しでは、オリンピックの結果について「日本柔道崩壊」となっていたそうです。金メダルが6階級中3階級でしか獲れていない、確率が50%しかないと。今なら金メダル3個は充分合格点でしょうが、当時の柔道は日本のお家芸ということで、金メダルの獲得数に対しハードルが非常に高かったということです。

1972 ミュンヘンオリンピック 金3銀0銅1

  • 監督:浜野正平
    • 講道館9段
    • 戦前の明治神宮競技大会や全日本選士権大会で選手として活躍し、後には大阪府警察名誉師範や大阪柔道連盟会長等を務めるなど、大阪柔道界の重鎮として知られました。
      ※明治神宮競技大会
      現在の国民体育大会柔道競技に相当する大会で、1924年から1942年まで実施。

【軽量級】川口孝夫(22) / 金メダル
【軽中量級】野村豊和(23) / 金メダル
【中量級】関根忍(28) / 金メダル
【軽重量級】笹原富美雄(27) / 2回戦敗退
【重量級】西村昌樹(25) / 銅メダル
【無差別級】篠巻政利(25) / 3回戦敗退

  • 1968年メキシコシティーオリンピックでは実施されなかった柔道競技が、今大会より再び正式種目に復帰しました。ただし実施されたのは1964年東京オリンピックと同じ、男子のみの6階級でした。今大会までは予選で一度敗れても、敗者復活戦を勝ち上がれば優勝できるシステムでした。

1968 メキシコシティーオリンピック 柔道は実施なし

メキシコシティーオリンピックで柔道が実施されなかった理由として、オリンピック開催が決定した当時、メキシコではまだ柔道が余り普及しておらず、正式競技とするには不十分と考えられたのだという説があります。

一方、1964年東京オリンピックで正式競技になったのは、開催国の意向を踏まえた、大会を盛り上げるための措置という面があったためと想像できます。その後、柔道が世界的に普及したことで、1972年ミュンヘンオリンピックでは正式競技になれたのだと考えられます。

1964 東京オリンピック 金3銀1銅0

  • 監督:松本 安市
    •  講道館8段、昭和天覧試合準優勝、第1回全日本選手権大会優勝
    • 得意技は大外刈で、相手の体重や状況等に使い分けられるよう、5種類の大外刈を持っていたそうです。

【軽量級】中谷雄英(23) / 金メダル
【中量級】岡野功(20) / 金メダル
【重量級】猪熊功(26) / 金メダル
【無差別級】神永昭夫(27) / 銀メダル

  • 今大会で初めて正式種目に加えられた柔道ですが、実施されたのは男子のみの4階級でした。競技は日本武道館にて実施されました。

振り返ってみて

柔道日本代表の歴代監督や成績について振り返ってみましたが、いかがでしたか。さすがに、監督・選手とも錚々たる面々ですね。記憶に残る名勝負を思い出した方もいるのではないでしょうか。

やはり、日本代表監督というと、オリンピックの金メダリストであったり、高い段位の保持者であったりというような、選手として立派な成績を残した人ばかりですね。それでも、日本代表としてみたときにメダルラッシュの年もあればあまり揮わない年もあるというのは、名選手が名監督になれるわけではない、ということなのかもしれません。

名将井上康生、その有能さとは!?

さて、名将と評判の井上康生監督ですが、有能と言われる理由をみてみましょう。

井上康生監督が称賛される理由としては、やはり2016年のリオデジャネイロオリンピックにて、全階級でメダルを獲得したことためですね。これがいかにすごいことなのか?

上の資料からも分かりますが、日本代表がオリンピックの全階級でメダルを取ったのは、実に1964年の東京オリンピック以来52年ぶりとなる歴史的快挙なのです。よく、前回2012年ロンドンオリンピックでの金メダル0個事件と対比されますが、それ以上にすごいことなんですね。ちなみに、オリンピックの柔道で全階級でメダルを獲得した国は他にありません。

また、井上康生監督がたったの4年でその偉業を成し遂げたこともすごいです。ロンドンオリンピックの後に監督を引き受けてから、もう次のオリンピックがリオデジャネイロだったわけですからね。

では、どうしてそんなことができたのか?井上康生監督の「改革」として色々紹介されていますが、個人的には、ロンドンオリンピックのときに言われた『「柔道」が「JUDO」に飲みこまれた』ことへの対策が大きかったのではと思います。

柔道は日本発祥のスポーツですが、世界に広がるにつて、JUDOとして独自の進化を遂げていきました。各国の伝統的な格闘技を取り入れ、ルールもどんどん変更されていったのです。

それまで日本では、柔道の母国であるため見本を示さねばという思い込みや一本勝ちへの拘り、JUDOの否定といった風潮が強かったようです。その硬直した姿勢が、変化し続けるJUDOに対応しきれなくなる事態を招き、とうとうロンドンオリンピックでの惨敗という結果に至ったということです。当時は「柔道は日本のお家芸ではなくなった」とまで言われたものです。

そこで登場した井上康生監督の考えは、日本はあくまで柔道を極めていくのであり、JUDOを目指す必要はない。だがJUDOの良いところは大いに学ぶといいし、JUDOに勝つためには良く知る必要があるだろう、という大変現実主義的なものでした。そうしてJUSOを研究し対策を打っていった結果が、リオデジャネイロオリンピックでの全階級メダル獲得というわけです。

井上康生監督の有能さを示すエピソードは他にもありますが、また折を見てご紹介できればと思います。

まとめ

柔道日本代表の歴代監督を振り返ったところ、選手として立派な成績を残した人ばかりであることが分かりました。井上康生監督自身も、名将と言われるだけでなく、シドニーオリンピックの金メダリストです。

そんな井上康生監督が有能と言われるのは、リオデジャネイロオリンピックで全階級メダル獲得を果たしたためですが、これはなんと1964年の東京オリンピック以来の歴史的快挙でした。また、たった4年でこれだけのことを成し遂げた事実にも驚きですね。

2020年の東京オリンピックでのさらなる躍進を期待される柔道日本代表、ならびに井上康生監督に、今後も要注目です。

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